不良少年が医学の道をめざす(1)※「神の手のミッション福島孝徳」 第7章【書籍抜粋】

福島孝徳

清廉潔白な生き方を貫いた父

Dr.福島は、明治神宮の神職を務める父・福島信義と、代々神職の家柄に生まれた母・和歌子の間に1942年に誕生した。兄・義徳、弟・信正に挟まれた3人兄弟の次男だ。

明治神宮で福島信義氏の下で働いた外山(とやま)勝志名誉宮司は、Dr.福島の父方の祖父とも交流があった。

「福島先生のおじいさんは、葛飾に広大な土地を所有する大庄屋さんでした。屋敷には大きな銀杏の木があり、「大銀杏さん」の愛称で地元の人からも頼りにされていました。

おじいさんは義侠心も強く、幕府から追われている罪人も受け入れて、千葉に逃げられるように小遣いまで渡していたそうです。器が大きいだけでなく、背も高い大柄な人でした。おじいさんにも3人の息子さんがいて、長男はお国のために軍人にしました。信義氏は次男で、精神的にお国に尽くす神職にしました。そして、三男は人々を助ける医者にしたのです」

義侠心にあふれるだけでなく、文武両道の一族であり、日本のプロボウラーの草分け的存在で『図解ボウリング』の著書もある福島稔男氏は、Dr.福島の従兄弟にあたる。

神職となった信義氏は、公私共に清廉潔白を絵に描いたような人物だった。福島は祖父が亡くなったときの遺産相続のてんまつをよく覚えている。

「父の実家は『新小岩から平井まで他人の土地を踏まないで行ける』と言われたほどの大地主でした。農地改革で失った土地もありますが、父はかなりの土地を相続するはずだったのです。でも『遺産は人をだめにする』とすべて放棄しました。

そして、私たち子供に『うちには遺産も資産もないから、自分の道は自分の力で切り開きなさい』と言い渡したのです。兄と私は『そんなこと言わないで、50坪でももらったらいいのに』と愚痴をこぼしたものです」

明治神宮の神職としても、付け届けや贈り物は一切受け取らず、すべて送り返していた。

母親の和香子さんと三兄弟。
左から兄の義徳さん、弟の信正さん、和歌子さん、Dr.福島(5歳)。

  

創意工夫あふれる遊びを
楽しんだ子供時代

神職の子供というと、品行方正な優等生をイメージするが、少年時代のDr.福島は正反対。いたずら好きのやんちゃ坊主で、母親が学校まで呼び出されることもしばしばあった。

「小学校に入学したのが1948年。そのときから悪ガキでした。教室の入り口のドアに黒板消しをはさむのは序の口。ストーブの煙突をはずして先生を煤だらけにしたこともあります。そのたびに母にきつく叱られました」

Dr.福島の子供時代は終戦後の混乱期。食べ物も乏しく、人々は生きるのが精一杯の時代だった。

「街では傷痍軍人がアコーディオンを弾き、上野のガード下には戦災孤児があふれていました。肉や魚はめったに手に入らず、明治神宮の官舎の裏庭でサツマイモや菜っ葉を植えて、雑炊に入れて食べていました。最高の楽しみは、秋の運動会で母が作ってくれる海苔巻きとお稲荷さん。私の誕生日が10月15日なので、誕生祝いを兼ねて作ってくれました。今でも大好物です」

食生活は貧しくても、福島少年の遊びの世界は豊かだった。

「今の子供みたいにゲームやおもちゃを与えられるわけではなく、遊びといえば、缶蹴りや縄跳び、かくれんぼ。紙のつぶてでパチンコ合戦をしては、明治神宮の職員にしかられました。池でザリガニを釣ったこともあります。餌はスルメイカです。

テレビが家に来たのは小学校4年生のとき。電気屋さんの店頭の白黒テレビで力道山を見ました。公園に来る紙芝居も楽しみでした。ニッキや水あめは5円もしなかったかな。鞍馬天狗の紙芝居に夢中になりました。

もともと手先は器用で、図画工作では金賞を取ったこともあります。家庭科の運針やアップリケ付けも得意でした。よく折り紙も折っていました。折り方が決まっているものはおもしろくないので、自分で折り方を工夫していました。六角形や円錐形の箱などを始めとして、鶴や亀もあっと驚くような形に折りました。当時から、ふつうのことをやるのは嫌いで、自分のオリジナルにこだわっていたわけです」

折り紙には手先の器用さが必要だが、独自の形を作り出すには、立体を頭に描く能力が必要だ。長じて天才的な脳外科医となり「鍵穴大の開口部から脳の裏側まで見えている」と評されるDr.福島だが、その片鱗がオリジナルの折り紙にうかがえる。

勉強はそっちのけで遊び歩いていたが、試験は一夜漬けですべてクリアした。当時から、集中力が高く、負けず嫌いで一番を取らないと気がすまなかったのだ。

  

医師としてのあるべき姿を
示してくれた叔父

そして、両親に加えて、大きな影響を受けたのが新小岩で内科を開業していた叔父の存在だ。

「子供のいなかった叔父は私をとてもかわいがってくれました。叔父のような医者になろうと、小学校1年のときから決めていました。叔父が通った東京医科大学の内科の研究室にもよく遊びに行き、医者の世界の雰囲気を肌で感じていました。父は仕事一筋で家族サービスなんてまったく考えない人でしたから、海や山への医局旅行に連れて行ってもらったことがいい思い出になっています。

そして小学校2年に読んだ野口英世の伝記にも感銘を受けました。日本から世界の医学界のトップに立つ人が出ているんだ、自分もそうなりたいとあこがれたのです。

叔父は、もう亡くなってしまいましたが、私には大きな影響を与えました。新小岩で内科を開業し、患者さんのために親身になって診察していました。日曜、祝日も関係なく、病気で苦しんでいる人が来れば、いつでも診てあげていました。『すべてを患者さんのために』という私のポリシー、そして、待っている患者さんがいるなら、休んでなんかいられないという姿勢は叔父が身をもって示してくれたものです」

  

「神の手のミッション福島孝徳」 第7章 不良少年が医学の道をめざす(2)に続く


「全力を尽くして患者さんを助けるのが、私の人生です」。
世界を飛び回り、ミクロン単位の超精密鍵穴手術を年間600件も手がけ、99%以上成功させているDr.福島は、「神の手」「ラストホープ(最後の切り札)」と呼ばれてきた。60代半ばとなった現在でも、手術にかけるエネルギーは衰えを知らない。
本書はDr.福島の常に進化している手術技術や、世界の若手医師の育成について、Dr.福島が救った数々の患者さんの体験談、日本医療の拠点となる、千葉県にオープンした塩田病院附属福島孝徳記念クリニックに賭ける情熱など、世界一の脳外科医の最新情報を掲載。
また、Dr.福島の原点となる、明治神宮の神職だった父に「人のために働きなさい」と育てられた幼少時代が語られており、すべてを患者さんのために捧げた男、福島孝徳のすべてがわかる最新刊となっている。

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2023年9月5日