▼手術のできない教授がたくさんいる
私が、48歳でアメリカへ行くきっかけとなったのは、大学の教授選でした。
三井記念病院の脳外科部長をしているときに、「福島先生もそろそろ教授に……」という声をかけていただき、教授になって日本の脳外科を世界レベルに引き上げたいという夢をもって、教授選に立候補しました。ところが、教授選考会の段階で拒否されました。
福島を教授にしてはまずい、あいつは怪文書で潰せ、ということになり、教授選の間、ブラックメールが飛び交いました。あとから聞いた話ですが、当時、諸大学の病院の看板は内科と外科であったので、「脳外科の教授に、日本一の治療実績があり世界からも注目されているような大人物が就任してもらっては、目立って迷惑だ」ということだったそうです。
日本の医学部の教授選考基準は、外科であっても、手術などの臨床実績より学術論文の多さが第一条件になります。臨床の経験が少ない人が教授になっても上手な手術ができるわけがないのは当然なのですが、メンツがありますから普通に手術をします。手術を受ける患者さんは、たまったものではありません。その結果は、先ほど紹介したように、不幸な患者さんが次々生まれるということなのです。
実は私は教授選に立候補したとき、すでに自分で開発した技術や研究、新しい手術法の確立など、外国で発表したものも含めると200本近くの論文を書いていました。当時の条件で、50~100本の論文数が求められていた時代です。そして年間900例ほど手術を行っていました。開頭せず頭蓋骨に小さな穴をあけて顕微鏡を使って手術を行う、患者さんの負担を最小限に抑える「鍵穴手術」を確立し、世界的エキスパートとして認められていました。患者さんを救うために、必死に努力していました。
患者さんのために最良の治療ができる人物を教授にするのではなく、身内の都合――同窓会の圧力や、人脈、金脈で教授は決まっていくのです。ほかの大学から推薦された優秀な医師を落とし、臨床の実績がない自分の大学出身の准教授を無理やりに教授にするといったことは日常茶飯事です。欧米のような、まじめな教授選考会はやらないのです。
「この人なら教授にふさわしい」と思える人や、間違いなく教授に選ばれるだろうと思っていた人が落ちたりすることがしばしばあります。そして人格的にも、医師としての技量的にも教授にふさわしくない人間が、その職についてしまうことが往々にしてあります。 昔ほどではありませんが、横暴で独裁者の教授は今でもいます。汚職や脱税をしたり、いばったり、医師としての道徳心、倫理観のかけらもない人が教授に選ばれるのには、学部や病院上層部の政治的な思惑が働いていることもあるのです。このように、日本の場合は残念ながら、教授イコール人格的に優れていて臨床実績があるとは限らないのです。
▼海外では1人の教授に権力が集中しない
海外では、日本とは全く違った基準で教授を選考します。
アメリカでは、臨床実績のある技術の優れた医師が高い評価を受けます。患者さん側も「治せる」医師のいる病院を良い病院として評価します。ですから、大学も臨床能力の高い患者さんを治せる医師を1人でも多く抱えようとするのです。そして、もし教授に就任した人が、治療で大学が期待するほどの実績を上げなかったらすぐにクビです。クビになりたくないから、教授といえども必死で働くので、結果的にそれが患者さんのためになっているのです。
ドイツの場合は、教授になるために政治的駆け引きを行わないよう、その大学に在籍する准教授や講師は候補になれず、必ずよその大学から呼ぶという決まりがあります。
また、韓国の脳外科でも欧米並みに教授が5人くらいいて、主任教授は6年ごとに持ち回りで担当し、1人の教授に権力が集中しないようにしています。日本は、一度教授になったらトラブルや不正を起こしてもほとんどやめませんし、やめさせられません。
私は以前から、アメリカ方式と、ドイツ方式と、韓国方式、各々の優れた面を取り入れて、今の教授の選び方を見直すべきだといろいろな機会に発言しているのですが、文部科学省は全く反応しようとはしてくれません。
また、諸外国では、ひとつの診療科、例えば脳外科には4、5人の教授がいます。ですから、1人の教授に権力が集中してしまうことはありません。
ところが、日本の医局では、頂点に1人の教授がどんと座り、その下に准教授、講師、助手、医員、研究員などがいるピラミッド型の組織になっています。これが医局講座制という、教授1人の独裁国家ともいうような、日本独特の悪しき大きな慣習です。教授が、准教授以下の医局員の生殺与奪権を一手に握って絶対的な権力を持っているわけです。
人事権、学位の決定権、財政など、すべてが教授1人に集中しているので、医局員は誰も逆らえません。心ある医局員が教授に諫言でもしようものなら、クビになるか、外の病院に出されて二度と大学には戻ってこられないという話はよく聞きます。『白い巨塔』どころの話ではなく、私は『真っ黒けの巨塔』と言っています。
▼若手医師が医局から離れていく
教授がもつ権力のなかでもっとも重要なのが人事権です。
現在厚労省と文科省が合同で「臨床研修制度のあり方等に関する検討会」を開いています。この新臨床研修制度に関して私が思うことは第二章を読んでいただきたいのですが、とにかくこの検討会の議事録と報道されている内容を読んで、愕然としたことがあります。
2004年から新臨床研修制度が始まり、多くの研修医たちが卒後医局に残らず、他の研修病院に流れてしまったことが問題とされていますが、この検討会ではその理由を明確にせず、旧来の大学の医師派遣機能を再構築しよう、断固保持しようとしているのです。
大学を中心とした地域病院への医師の供給とコントロールとは、悪しき習慣です。
旧来、大学医局がめんめんと行ってきた医師派遣機能の実態をお伝えすると、大学の医局には、それぞれ医局員を派遣する関連病院というのがあります。教授は、誰を派遣して誰を呼び戻すかを決めるのです。若い医局員が教授から「君は〇〇に行ってくれ」と言われたら、そこがどんな場所だろうが環境だろうが、それはお願いではなく業務命令なのです。医師の家庭の都合などは全く考慮されません。拒否すれば、医局内での居場所はなくなってしまいます。
また、研究室で基礎研究だけをしている医局員に「君もいい歳なのだから、一度医長(部長職)をやっておいたほうがいいね」などと言って、ほとんど手術経験のない医局員を脳外科部長として派遣するということもあります。その医局員が自分は何もできないと言ったとしても、「手術するときは医局から人を出すし、手に負えないようなら患者をこちらに回せばいい」などと言うのです。
それから、市中病院は医局からの派遣医師がいなくては成り立ちませんから、たとえば理事長や病院長が、「できれば4年目ぐらいのできる人で……」などと、教授に医師の派遣依頼をします。そのときにご挨拶や見返りがあると、「では、来月あたりに考えようか」となる、というような話は、今でも現場の先生からよく聞きます。
医局は、悪徳斡旋業者のようなことをしているわけです。都合も実力もお構いなしに、将棋の駒のように扱われる医局員はたまったものではありません。
そもそも大学に名医・達人があふれていたら、学生は大学に残ります。医局に魅力があれば、研修医が外に出ることはないのです。その魅力とは何か。それは臨床能力のある教授がいる、この医局にいれば自分の臨床能力があがると確信できる環境であるということです。臨床能力のない教授の下、封建体制の色濃い医局に若い医師を囲い込もうとしても、どだい無理な話です。
私の言葉を聞いた教授たちは「医師の偏在はどう解決するのか」と言ってくるでしょう。 地方の医師不足も、厚労省が超低医療費政策をやめ、地方・僻地の医師の年俸を上げればすむことです。若い医師たちは、待遇がよければ地方に行ってもいいと言っていることは第二章で触れますが、その意見を私が目にしたアンケートは、件の検討会での配布資料でした。
▼今でもある大学医局の悪しき慣行
もちろん、教授全員がこうだと言っているわけではありません。人格的に素晴らしい方も、私は何人も知っています。
しかし、脳外科に限ったことではなく、多くの医局で悪しき慣行が日常的に行われていると聞きます。
2007年、ある大学院での医学博士の学位取得にからみ、教授が収賄容疑で逮捕された事件がありました。昨年は、ある大学で学位論文の審査に携わった教授が医局員から謝礼を受け取っていたというニュースがありました。どちらも大変大きく報道されたと記憶していますが、なんとつい先日も、ある医大で同じように学位論文審査の担当教授が謝礼を受け取っていたと大きく報じられました。
学位論文のために教授が医局員からお金をもらっていたわけですが、これはよく聞く話です。学位論文を審議して可か不可かは、医局員の教授に対する御礼の額によるといいます。地域によって差があるようですが、数十万円から、一説には数百万円という地域もあると聞きます。そんな博士号だの学位だの、何の意味もありません。
患者さんに対し、医局長が「教授がやるからにはこれくらいかかります」と金銭の謝礼をするようにほのめかす。医局員を地方へ派遣し、派遣先の病院から礼金を受け取る。
医薬品メーカーや医療機器メーカーからの違法すれすれのリベートを受け取るーー。ときどき新聞やテレビのニュースで取り上げられることがありますが、こうした倫理観に欠ける行為は、氷山の一角と考えていいほどに横行しているといわれています。
なかには、新聞報道をされて学生大会などで追及されても、涼しい顔をして教授の席に居座り、あまつさえ病院長や学部長、学長、学会の理事長などになってしまう厚顔無恥な人もいるのです。不思議なことに大学当局は、そうした人物を処分するどころか、記者会見で不正の疑いの濃い当事者をかばうような言動をすることもあります。こうした光景を見るにつけ、日本の大学医学部には自浄作用が働かなくなっていると感じざるを得ません。
アメリカならば、大学や病院の信用問題にかかわってくるのですから、学外の第三者による調査委員会を設置して徹底した調査を行うでしょう。すべてが内向きで、身内だけで処理してしまう日本の因習でしょうか。
この間、「福島先生、私は脳外科をやりたいんですが、医局に10年間いないと3000万円返せって言われているんです」と泣いている学生がいました。
どういうことかと聞くと、大学が学生に6年間で1500万円ほど貸して、卒業後10年間勤めればその借金は返済無用、もしもどこかの病院に移ったり開業したりするなら倍の3000万円を返せと言われたというのです。このような悪徳消費者金融まがいのことをいくつかの大学がしているらしいのです。
大学を統括する文部科学省の官僚はなにをしているのでしょうか。私は、文部科学省に乗り込んで、大学教授や大学の不正をなぜ処分しないのか、なぜ大学当局を動かさないのか、常々問いただしてみたいと思っています。
私が日本にいた当時、製薬会社の接待を受けなかったのは、私ぐらいでした。どうしてもと患者さんが謝礼をくださったときは、全部確定申告していました。謝礼をもらって確定申告していたという医師は、私ぐらいではないでしょうか。
今でも私は特別なお金はもらっていません。どうしてもと謝礼をくださる場合は、すべて研究費と後進を育てるために作った教育財団に入れています。いわれのない金は受け取りません。
全国の先生方は、私と同じことをしているでしょうか。
”すべては患者さんのために”をモットーに世界中で活躍し、日本でも”神の手”として数々のメディアに登場する脳外科医・福島氏が、日本医療の数々の問題点に鋭く斬り込む!
第1章 こんな医師にあなたの命は救えるのか!?
第2章 能力のない医師が増えていく日本のシステム
第3章 日本は先進国最低レベルの医療費国家だ!
第4章 日本の脳外科医に伝えたいこと
第5章 賢い患者が名医に出会える!
おわりに すべてを患者さんのために