1978年に日本で初めて「ジャネッタ手術」を行う
三叉神経痛のような痛みの記録は、2000年以上前の古代エジプトや1000年ほど前のアラビアにも残っていますが、症例を集めて病気として確立したのはフランスの内科医ニコラス・アンドレで、1773年のことです。
1800年代になると解剖学的な研究が進んで、1860年代にはイギリスのサミュエル・ホザギルによって臨床的な三叉神経痛の症状の特徴が正確に記載されました。
その後、三叉神経を切断したり引き抜いたりする手術法が考案され、開頭して脳幹から出た神経根を切ってしまう神経切断術や神経引き抜き術が行われるようになりました。 しかし、これでは顔面の感覚まですべてが麻痺してしまうので、痛む場所に合わせて、眼神経、上顎神経、下顎神経のいずれかを切る方法も考案されるようになりました。
1900年代に、神経に針を刺してアルコールなどで神経を麻痺させるブロック治療が開発され、実は1970年代頃まではこのような三叉神経破壊治療が普通に行われてきたのです。最近まで、三叉神経痛は、原因が外傷性もしくはウィルス性であるとか、てんかんの一種などと考えられ、特発性の原因不明の病気とされて、治療法の確立までに長い試行錯誤が続けられました。
通常カルバマゼピン(商品名・テグレトール)という内服薬の治療が奏功しますが、次第に痛みは増強し、内服薬でコントロールできなくなります。三叉神経痛が、動脈硬化でたわんだ血管(上小脳動脈)ループが三叉神経の根元を圧迫するために起こることに気づき、三叉神経の根元と血管の間にアイバロンスポンジをはさむ手術法を発表したのはアメリカピッツバーグ大学のピーター・ジャネッタ先生で、1970年のことです。
実は、まだ手術用顕微鏡のなかった1930年代に、アメリカのウォルター・ダンディーが、血管が神経に当たっていることを発見してはいました。しかし1930年代の手術技術では圧迫血管のマイクロ移動術を行うことはできず、ダンディーは三叉神経切断術を行ったのです。
ジャネッタはたまたま三叉神経を切る手術の最中に、神経の根元に当たっている血管ループが痛みの原因ではないかと気づき、どけてみたら治ったわけです。
それまでは主に耳鼻科や眼科の手術に用いられてきた手術用顕微鏡が、1970年頃から脳外科手術にも用いられるようになったことも、三叉神経痛の治療に大きな転換をもたらしたといえるでしょう。
私は1975年から78年までアメリカの有名なメイヨー・クリニックに研究のために留学していましたが、当時ジャネッタ手術は大変な論争になっていました。
しかしその手術法が認められるのは1980年代に入ってからで、当時は、ジャネッタはペテン師ではないかとか、彼の手術法は眉唾ものではないか、などと揶揄する脳外科教授たちも多く、脳外科学会があるたびにさんざんに議論されていたのをよく覚えています。
しかし、留学を終えて帰国し、三井記念病院で脳神経外科部長を務めることになった私は、1978年9月に日本では初めて三叉神経痛と顔面けいれんの患者さんにこのジャネッタ手術を行いました。そして患者さんが見事に治ったことから、「この手術法で間違いない」と確信するに至ったのです。
福島式三叉神経痛の手術法
ジャネッタが行った手術は、動脈硬化でたわんだ血管(上小脳動脈)ループと三叉神経の根元の間にアイバロンというスポンジをはさんで、血管が三叉神経の根元に当たらないようにする微小血管減圧術(MVD = Micro Vascular Decompression)でした。
1978年から2年間の間に、私は東大病院と三井記念病院で約300例の手術を行いましたが、微小血管減圧術では、時間の経過とともにスポンジが神経に癒着して三叉神経痛を再発するケースがたくさんあることがわかってきたのです。
そこで私は、神経の根元を圧迫している血管を丁寧にはがしてテフロン綿で巻き、三叉神経から3~5ミリ程度離れたテント側に転置移動する、神経血管転置移動術(MVT = Micro Vascular Transposition)という福島手術法を1981年に確立したのです。


その後は、開頭という患者さんにとっては負担の大きい手術のリスクをできるだけ少なくするために、日々研究を重ねました。 そして今では、1円玉大、アメリカでは10セント硬貨の大きさの穴(キーホール)の開頭で手術を行う「鍵穴手術」へと到達するわけです。
1990年に、UCLAから招聘されて再びアメリカに渡るまでの10年の間に、日本で5000例以上の手術を行いました。
渡米後も1000例以上の手術を行っていますから、現在症例数6500例という世界一の手術数を誇り、1回の手術での全治率98%、そして大きな合併症のリスクがゼロという抜群の成績を今なお維持しているのです。
もちろん、ここに至るまでには、第2章で説明したような手術法のブラッシュアップや、手術用顕微鏡や手術器具などの開発・改善を行い、一発全治できるような手術を行うために日々たゆまぬ努力を続けてきました。
ガンマナイフを発明・開発したスウェーデンの病院では
三叉神経痛の治療にガンマナイフを使わない
現在でも三叉神経にアルコールやグリセロール等の神経破壊剤を注射して神経を永久麻痺させるブロック療法や、高周波電流による熱で神経を焼灼する高周波熱凝固法、ガンマ線の放射線を当てる放射線神経破壊治療法も依然として行われています。
しかし、神経を永久的に麻痺、破壊する治療では、痛みは完全に消失することはなく、激しい痛みが再発します。最も困るのは顔面にしびれややけどのようなビリビリ痛が持続的に残る後遺症が出ることです。
中でも、ガンマナイフ治療は、ガンマ線を神経に照射することで、神経を放射線凝固破壊する方法です。
このガンマ線を照射された神経の部位は放射線で焼かれて、干物のようになって、しかも24時間常に顔半分がしびれ、そして時とともに焼け火箸を当てられたような地獄の苦しみに変化していきます。
それに加えて激痛が再発することもあり、まさに三重苦の耐えがたい痛みが続く地獄のような日々だと患者さんは訴えます。ガンマナイフ治療を受けてしまった患者さんに関しては、残念ながら私も手の施しようがありません。
実は私の地元でも、アメリカの大企業のマネージャーを務めていた45歳の男性が、三叉神経痛でガンマナイフ治療を受けた結果、しびれと再発の激痛と24時間焼け火箸を当てられるような状態が続いて仕事を続けることができなくなり、職を失い、その上離婚されてしまった悲劇のケースがあります。これまでガンマナイフ治療を受けて人生を破滅させてしまったケースをたくさん見てきているのです。
悪性脳腫瘍とか、病気によってはガンマナイフが有効なケースもありますが、三叉神経痛では絶対に行ってはいけない治療なのです。
ただ、機器の導入費用と維持費が大変高額なため、三叉神経痛でもこの治療法を推奨する病院があります。もし「手術より安全だから」と言われてすすめられても、絶対に受けないでください。
ガンマナイフを発明・開発したスウェーデンのカロリンスカ神経研究所病院でも、今では三叉神経痛の治療には、ガンマナイフは使われていません。
アメリカのバージニア大学で長年ガンマナイフ治療に取り組んできたラディスロウ・スタイナー教授でさえ、三叉神経痛には「ガンマナイフは使わない(I am giving-up Gamma Knife treatment)」と私にこぼしたことがあるほどです。「いいのはよくて30%ほどで、70%以上の人に重篤な合併症が起こる治療法はすすめられない」と。
病巣部を正確に追尾して治療することができ、通院による数日間の分割的な照射治療が可能であるといわれるサイバーナイフ(放射線のピンポイント照射専用装置)でも同様です。放射線による三叉神経障害が起きてしまいます。
最も大事なことは患者さんを合併症なく全治させることなのです。
高齢者であっても、持病や既往歴があっても、全身麻酔がかけられる状態であれば、私は、現在まで多数の80歳から90歳以上の方々を迅速正確な鍵穴手術で全治させています。
世界一の医療水準を誇るアメリカの医療関係者から「神の手を持つ男」(The Last Hope)と称賛される脳外科医Dr.福島孝徳は、今年2018年で医師生活50年を迎えた。現在でもアメリカ、ヨーロッパ、北欧、南米、アジア、ロシア、エジプトなど世界20カ国以上を飛びまわり、高難度手術を年間600人以上行っている。
「絶対にあきらめない、成し遂げる」という強い不屈の心、闘いつづける力はどこから来るのか——。
世界一と称賛される奇跡の技法「鍵穴手術」について、また、患者さんからの感謝の声、愛弟子たちの秘話も満載。
「私のところには“Dr.福島でなければ治せない”という難しい腫瘍や巨大脳動脈瘤などの複雑な病気の患者さんが、最後の望みをもって来てくださいます。それが私にできる手術であるなら、どんな患者さんでも受け入れます。そして、いつも患者さんに言います。“私が手術するんだから、もう大丈夫”と」 (福島孝徳)
◎脳外科に人生を捧げた私のミッション
◎75歳の今でも、その日に行った手術の復讐は怠らない
◎なぜ私が世界や日本各地を飛びまわるのか
◎私の手術を見学したい若手医師を歓迎します
◎世界一の手術師が生んだ奇跡の技法「鍵穴手術」
◎1円玉大の穴をあけ、顕微鏡で手術する
◎鍵穴手術による治療「顔面けいれん」「三叉神経痛」
◎私の後を継ぐ「次世代の脳外科医たち」の声
◎日本で福島孝徳が手術を行う病院一覧