今の臨床研修制度では有能な臨床医は育たない
▼長く混乱していた日本の研修制度
日本の医師研修システムは、長きにわたり混乱していました。
皆さんは、1960年代の東大闘争、その収束を告げた東大安田講堂占拠事件をご存じでしょうか。この一連の学園闘争のきっかけとなったのが、医学部の学生や助手による「インターン制度」の廃止を巡る運動でした。
インターン制度とは、医学部を卒業したあと1年間、無給で奴隷のように働いてはじめて医師国家試験を受けられるという制度でした。無給ですから、食べるために医局の過酷な勤務の合間を縫って、市中病院で当直医などのアルバイトをせざるを得ません。しかも、医師国家試験に合格していないわけですから、医師ではないのに診察をしたり、処置をしたりしていたわけです。今考えてみると、インターンにとっても、患者さんにとってもなんと恐ろしいことだったのでしょうか。
その運動がきっかけとなり68年にインターン制度は廃止され、医学部を卒業すると同時に医師国家試験を受けられるようになりました。私は、その後にできた、免許取得後に2年間の臨床研修を奨めた文部省「臨床研修制度」の第1期生です。
医師としての身分の保証はなされましたが、現実はインターン制度とほとんど変わらず、当時私は「インターンが研修医という衣をきて、2年間になって戻ってきただけじゃないか」と思いました。というのも、医局の最下層で朝から夜中までこき使われ、給料は3万円しかもらえないのです。私立大学のなかには、全くの無給というところもたくさんありました。それどころか、医局費と称して幾ばくかのお金が吸い上げられるのです。
しかも、この臨床研修制度は「奨めるが義務ではない」という、なんともあやふやなシステムで、今回の新臨床研修制度ができるまで続いていました。このような研修制度でいい医者が育つはずもありません。
これが、日本の医師を育成する医療の現実だったのです。
▼新臨床研修制度で医師の偏在が加速している
それまでの反省を踏まえて、2004年に厚労省の2年間の「新臨床研修制度(スーパーローテート制)」がスタートしました。
新臨床研修制度とは、医学部卒業後の2年間に、幅広い基本的な診療能力が高められるよう、内科、外科、救急を基礎にし、小児科、産婦人科、地域保健医療などを組み合わせたカリキュラムを学ぶシステムです。2年間の初期研修を終えるとそれぞれ自分の選んだ診療科の専門医を目指して後期研修を続けていきます。
これまでの研修制度に比べれば、「義務化」されたことと、研修先によって金額は違うとはいえ、「研修医報酬の保障」が組み込まれた点は一応の評価はできました。
また、今まで医学部を卒業したら、大学の医局に属して、医局のコントロールのもとに研修医として修練を積むのが一般的でしたが、新臨床研修制度では、大学以外にも研修医を受け入れる病院が多く指定されたことで、大学医局離れが進み、封建的な大学医局体制が破壊されつつあることも、新臨床研修制度の良かった点でしょう。
しかし、若い研修医が大都市に集中し、遠隔地の研修医が足りなくなったり、医局で丁稚奉公をしても何も残らないし何の役にも立たないと、多くの研修医たちが自分が勉強した大学の医局に入らず、民間の研修病院に流れてしまったということがあるのです。
特に東京都内の大病院に研修医が殺到していますが、医局よりも民間病院を選ぶということは、以前では全く考えられなかったことです。特に、地方の大学医局にこの傾向が顕箸なようで、研修医が都市部の有名な総合病院での研修を選択しています。
こうなると、若い働き手がいなくなり、地方の医局は機能不全に陥る危険性が出てきました。本来なら医療の中心を担わなければならない、高度先進医療をすべき大学医局が、人材不足によりその機能を果たさなくなるのです。自業自得と言えるのですが、ここまで大学病院の魅力が失われていたのかと、改めて日本の医療現場の疲弊を実感させられる出来事です。
先にも述べた厚労省と文科省の臨床研修制度の検討会では、都道府県や病院ごとの研修医の定員上限を設けようとしているようですが、それがそのまま医師偏在の解消に直結するとは考えられません。初期研修が終わったとき、その研修先で専門医となるための後期研修を続けるとは限らないからです。
▼技術向上が望めない研修病院もある
また別の問題点としては、民間研修病院には素晴らしい病院、教育熱心な指導医も少なくないのですが、この病院で研修しても、医師としてのレベル向上は望めないのではないか、低レベルの医師ばかりが増えてしまうのではないかというような開業病院、医療法人も、たくさんあるということです。
どういうことかというと、どんな医療法人でも、条件さえ満たせば研修病院として手をあげられるわけです。それまでは医局から医師を派遣してもらうためには、何人かの教授に毎年のご挨拶と上納金が必要だったのに、そんなことをしなくても黙っていても若い医師がやってくるようになったのです。それはもちろんいいことです。しかし、さまざまな診療科で学べることにはなっていますが、だからといって種々さまざまな臨床症例、レベルの高い臨床技術を学べるかというと期待は出来ないのです。また、そこにいる各科指導医のレベルも問われません。
つまり本来なら若いうちは、医学レベル、臨床能力の高い、たくさんの症例が集まるところで真剣に勉強しなくてはならないのに、技術向上が期待できない普通の医療法人にも若手医師が集まってしまうということです。私に言わせたら、そんなことでは名医は育ちません。正直「こんな病院で研修していていいのか」と思うような私の知る医療法人でも、10人、20人と研修医を採用して、その研修医の半分くらいが、引き留めにあって残っています。「うちの病院にこのまま残れば高給を払う」とか「海外研修をさせる」とか「通勤に使う車を支給する」とかいって引き留めにかかっている病院もあるようです。
引き留めをする 病院側は必死です。今までは大学の医局から医師を派遣してもらうのに、医局の人事権を握る教授に頭を下げ、多額の金銭的な見返りを約束して、やっと数人の医師を派遣してもらっていたのです。ところが、ある程度の規模の研修病院ならば、安い給料でこき使える若い労働力が向こうからやってくるようになったのですから、2年の研修期間が終わっても引き留めようとするのは当然のことです。
このままでは、能力のない医師ばかりが生まれ、医療の質がますます低下してしまいます。本来の臨床研修制度の目的である人材育成から外れた運用、つまり、人材確保に今の制度は利用されているのです。現在の厚労省の臨床研修制度は、大学医局から人材を一般病院へ供給する面では成功したけれども、有能な臨床医育成の目的は果たしていません。また、外科や脳外科、産科での普通のリスク範囲で生ずる合併症で刑事訴追されるような現状と過酷な労働を見て、研修医はこの3科から離れていっているのです。
▼若い医師には研修の選択肢を用意すべき
2年間の研修医は学生の延長の見学”レベルのこまぎれ教育しかなく、かつての悪名高きインターン制度が2年に倍増して戻ってきた感がありました。厚労省と文科省の検討会では、2年の研修を1年に短縮できる案もまとめたようですが、それが専門医の早期育成につながるとは思えません。
何度も申し上げますが、今の臨床研修制度で名医は育ちません。日本の医療は、臨床研修制度で一層低レベルになってしまいます。厚労省、そして文科省は、今すぐにでもこの研修システムと医療教育カリキュラムを見直すべきです。
私が「今の臨床研修制度にかわる妙案はあるのか」と問われたら、「ある」と即答します。何度も申し上げるように、医師としての研鑽の積み方の選択肢を用意するのです。前項で述べたように、私は医学生は早い段階から臨床をすべきだと考えています。5、6年生で現在の研修医と同等の教育を行い、優秀な者は、卒業後の研修は不要。一定レベルの試験に合格することを条件に、そのまま希望する専門診療科に行けるようにするのです。そのためにも、基本的な研修は5、6年生のうちに行っておくのです。国家試験に合格できなかったり、研修を希望したりする者には、従来の研修を行えばいいのです。
優秀な才能を無駄にすることなく、日本の医療の質の向上に貢献するためには、それにふさわしい環境を整えることが急務ではないでしょうか。
医師不足解決には患者さんの意識改革も必要
▼他国と比較しても格段に多い受診回数
患者さんであるみなさんに、少し気に留めていただきたいことがあります。
日本では、患者さんがちょっとしたことで大病院での診察を受けようとします。これは国民皆保険の恩恵で、保険証1枚あればいつでもどこでも診てもらえるので、ちょっとしたことでも病院に行ってしまうからです。アメリカなら「ドラッグストアで薬買って終わり」のような症状、例えば風邪をひいた、おなかが痛い、熱が出た、疲れたといったことで医者に行きます。ビタミン剤をもらうだの、老人サロン的に外来に通うだの、そういう患者さんが多いのは世界でも日本だけではないでしょうか。
患者1人の年間受診回数は、アメリカが3.8回、イギリスが5.3回、ドイツが7回のところ、日本は13.8回です(OECD Health Data 2007)。私が昔、日本で脳外科医をしていたころは、外来患者さんのおそらく70~80%はわざわざ脳外科までこなくてもいような患者さんでした。これは、医療費の大いなる無駄です。
海外では家庭医制度が充実しています。アメリカではファミリーシン(Family Medicine)という家庭医の講座があり、独自の免許があります。その先生方は、風邪からじんましんから結膜炎まで、ちょっとした外科処置も、何でも治療できます。非常に有能です。アメリカやヨーロッパでは、大病院や高度先進専門医にかかるには、そのかかりつけの家庭医の紹介状が必要なのです。
日本でもこれからは何でも診られる優秀な家庭医、総合医、開業医を作っていかなくてはなりません。日本でも今年の夏に家庭医療専門医の初めての認定試験が行われる予定のようです。これは非常に素晴しいことで、私は大いに今後を期待しています。これから日本もプライマリー・ケア・ドクター(Primary Care Doctor)、つまり初期診療を行う家庭医が絶対に重要になってくると思います。
▼開業医の生涯教育が必要
そこで厚労省と日本医師会に求められるのが、家庭医、総合医、開業医のレベルを責任をもって上げるということです。そのために開業医の生涯教育をシステマチックにやらなければならないと思います。1年に50時間の生涯教育をうけなければならないなど、厚労省と日本医師会でガイドラインを作り法制化してはどうでしょう。
アメリカの医師免許制度では、連邦政府による試験を受け、合格者には各州がさらに州独自の試験を施行し、合格者に州ごとの医師免許を発行して、その後定期的に更新登録が行われています。この制度は50年以上も前に導入されていて、州によって違いはあるものの1~3年ごとに更新手続きがあり、更新ごとに年50時間の講習を受け、生涯教育クレジットを証明しないと免許更新が行われません。つまり、医師免許が剥奪されるわけです。
講習の内容は最新の医療・研究情報や手術テクニック、新薬などで、それぞれ専門の研修コースが各種あり、大学教授や専門指導医などから講義を受けます。この更新制度によって、医療ミスは大幅に減っています。医療ミスの大半は、知識不足、技術不足から起こっていて、更新の講習によって単純なミスによる医療事故は減らせることを示しています。
ノースカロライナ州の場合は、2年間に100時間の生涯教育の義務があります。これを受けなければ医師免許が取り上げられるという、大変厳しいものです。
安心して受診できる、地域ごとの家庭医充実を目指して、日本医師会、開業医のみなさん全員の自覚を期待したいと思います。
”すべては患者さんのために”をモットーに世界中で活躍し、日本でも”神の手”として数々のメディアに登場する脳外科医・福島氏が、日本医療の数々の問題点に鋭く斬り込む!
第1章 こんな医師にあなたの命は救えるのか!?
第2章 能力のない医師が増えていく日本のシステム
第3章 日本は先進国最低レベルの医療費国家だ!
第4章 日本の脳外科医に伝えたいこと
第5章 賢い患者が名医に出会える!
おわりに すべてを患者さんのために