7.はい。私は日本を愛しています
誤解を恐れずに言えば、私ほど日本という国を愛している者もなかなかいないですよ。神官の家に生まれ育ったから、ではないですよ。でも好物は寿司とラーメンですし、「ブラック・ジャック」という呼び名も嬉しいけれど、感覚的には「旅から旅への木枯し紋次郎」みたいなほうがしっくりきます。
まあ、普通に考えれば五十近くまでこの国で笑い、泣き、怒り、楽しんできたわけですから、当たり前といえば当たり前。アメリカに行ったって日本をいつも意識していたし、気になっていたし、アメリカにできて、日本にできないことが見つかるとむしょうに腹立たしく感じてきたんです。
海外で生活をすると、愛国心というのはさらに強くなる。日本代表でアメリカへ行ったわけじゃあないんだけれども、やっぱり外国には負けたくないと思う。日本は、日本人はこれだけすごいんだぞ、と目にもの見せてやりたくなる。
日本にいた頃から、後進の教育には熱心だったと思いますが、アメリカに行ったらそれに拍車がかかりました。母国日本から離れてはいるけれど、今このアメリカという国にいるからこそ、後輩たちにしてあげられることもあるはずだ。そう考えたんです。
けれども、アメリカにはアメリカの素晴らしさがある。それもまた事実。この国はね、とにかく力を発揮した人をフェアに評価してくれます。私のように、自分の国で地位を得ようとしたとたん、過去の、しかも高校生の時代の若気のいたりにまでケチをつけて、妨害された経験などを持つ者には、この精神はありがたかった。
アメリカに渡ってからの私は、日本にいる時よりもずっとのびのびと自分の目標に向かうことができるようになりました。その上、アメリカの状況を例えば日本に伝えることができるのと同時に、日本が持っているいいものをアメリカで伝えることもできる。生まれ育った国にずっと居続けていたら、こうした経験もできませんでした。
森田君は私のことを野球の野茂選手にたとえてくれたそうですね。光栄なことです。私の場合はゴルフが好きなもんだから、すぐに「私はジャック・ニクラウス。一刻も早くタイガー・ウッズを育てたい」というたとえ方をしてしまいますが、ともかく野球で言うならイチローや松井のような医師が日本からもどんどん生まれてほしいと思います。もちろん、アメリカやヨーロッパなど多くの国の若い医師にも分け隔てなく指導をしています。でも、やっぱり国を愛する者ですから、素晴らしい名医が日本から誕生し続けてくれれば、ストレートに嬉しいんです。本
ただ、私の場合、キャラクター的には野茂や松井じゃあなくて、新庄選手に一番近いものを感じますけどね。彼が持っているような、ああいう底抜けの明るさを持っていたから、なおのことアメリカで生き抜いてこられたのかもしれません。
8.鬼手仏心
Dr.福島の恩師、佐野氏は脳神経外科界のトップだ。この佐野氏の目から見て「医師・福島孝徳」の何が他と違うのか、誰もが聞きたいところだろう。
「彼が優れている点ですか?いろいろありますねえ。手先が人並みはずれて器用だということも、非常に大きなポイントでしょう。けれども、どれか一つを挙げるならば、それは集中力です。テニスのナブラチロワ選手がかつてインタビューに応えて『I just try to concentrate on concentrating』というセリフを言ったそうです。私はいつも集中することに集中している、というような意味ですね。彼もまさにそうした心がけを持って、非常に高度な集中力を発揮するんです。これは、そう簡単には得難い能力。万人が持つことのできない才能なんですよ」
それまで、ゆっくりと考えながら話をしていた佐野氏だが、この質問への答は間髪を入れずに出てきた。それほど、教え子の集中力を常々評価し、注目しているのだろう。もう一つ、どうしても佐野先生に教えてほしいことがあった。それは福島氏がいつも口にする「すべてを患者さんのために」が、いつどんなことから生まれてきたのか、だ。「具体的にどこからその言葉が出てきたのかは知りません。彼自身が自分で到達した言葉なのでしょう。ただ、それとよく似た言葉といいますか考え方は、昔から私自身が自分に言い聞かせてきたものに通じていますね」
それは聖書の「ルカによる福音書」の一節からきたという。キリストが何をしているのか確認し、これを離れた場所にいるバプテスマのヨハネに伝えようとしている者がいた。キリストはその者に「こうヨハネに伝えなさい」と話すのだ。「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている」。佐野氏は言う。
「私はクリスチャンではないので、聖書について詳しいことはわかりません。でも、まさにここに書かれている、キリストが行っていたという内容を目指し、実現するのが医者なんです。そうあるべきだと思うんです。もちろん、いまだに私たち医者はキリストのように死者まで生き返らせることはできないでいます。けれどもそれ以外のことならできるはずではないか。できるように努力すべきではないか。そう昔から思い続けているのです」
そして、この「ルカによる福音書」の一節を、佐野氏は東大脳神経外科教授時代ずっと研究室に貼りだしていたという。ひょっとしたら、若き日の福島もこれを読み、大いに心動かされたのかもしれない。いずれにせよ、こうした崇高な理想を抱き続けた人物を師として、父として敬愛しているのが福島氏である。通じ合う根元的価値観があるのは、必然なのだ。
さらにこんな質問をした。
「取材を通じて、福島先生がいかに大きな人かはわかったんですが、そのなんというか、慈愛に満ちた生き様や思想とは裏腹にとても人間臭い部分も持っているかたなので、なんだか不思議だなあ、と言いますか、こんな人には今まで会ったことがないんです。どうしても落ち着かない変な感じがあるんです」
Dr.福島を取材をすればするほど、こうした不思議な感覚が強まっていったのは事実だ。そして、こんな疑問を本人にぶつけるわけにもいかない。答えてくれるとしたらこの人しかいない。
佐野氏は声をあげて笑い出した。
「慈愛に満ちたようには見えませんかね?(笑)」
「いえ、そう見える時と、ひどく人間臭く見える時のギャップがあまりに大きくて……」
「いや、わかりますよ、言いたいことは(笑)。まあ一つには福島君特有の照れ隠しもあるんでしょう。でもね、外科医に共通して宿命的についてまわる性質でもあるかもしれません。キシュブッシンという言葉をご存じですか?」
「いいえ」
「要するに、手は鬼なんです。外科医というのは患者さんのためとはいえ、身体を切り刻むようなことをするんですから。でも、心には仏が宿っている。そういう言葉ですよ。鬼手仏心、まさしく福島君にぴったりな表現じゃないですか」
TBS「情熱大陸」、TBS特番「これが世界のブラックジャックだ!名医たちのカルテ」などで紹介。神の手を持つ男といわれる脳外科医福島孝徳の初の人物ルポ。
第1章 ブラック・ジャックと呼ばれて(“神の手”は持っていません;最後の頼みの網「ラストホープ」 ほか)
第2章 人間・福島孝徳(「神の子」?いいえ、ただの不良でした―ブラック・ジャックの生い立ち;闘争世代の青春 ほか)
第3章 世界一の手術師(鍵穴手術;常識の枠を超越した“手術の鬼” ほか)
第4章 日本医療界を改革せよ(拝啓 小泉総理大臣殿、敬意を込めてもの申します;新・臨床研修制度で本当に医師は育つのか ほか)
第5章 名医を探せ!(名医の条件;日本にも名医はたくさんいる ほか)