福島孝徳先生――神の手の奥にある、やさしい手

福島孝徳先生

※本稿は、福島先生の活動に十数年にわたり携わってきた一人として、その思い出を記したものです。


福島先生との出会いは、とあるお寿司屋さんでのミーティングだった。
ある仕事で、ある方の代理として参加したのだが、
そこで、わけもわからないまま先生に叱られた記憶がある。

先生によると、その方に頼んでいた仕事が達成されていないという。
なるほど、だから自分が代理としてこの場に呼ばれたのか――と、そのとき理解した。

当初の先生は、かなりの剣幕だった。
「こんなふうにお願いしたのに、なぜできていないのか」と、
寿司屋であることも忘れて、真剣な口調で話し続けていた。
依頼への期待が、それほど大きかったのだと思う。

しかし、そのとき私は、先生の話を聞きながらも、
先生と自分の前に次々と寿司が並んでいくのが妙に気になっていた。
(先生以外のお連れの方々は楽しそうに寿司を食べているのに、
私と先生の前だけ、寿司が食べられないまま次々と並べられていく)
お店の大将も、寿司が乾いていくのを心配そうに見つめていて、
その表情が記憶に残っている。

お店の若い大将が、先生の到着前に
「福島先生に腕を見せたい」と意気込んでいたことを知っていたので、
「せっかくの機会なのになんか申し訳ない」と、心の中で思っていた。

やがて先生もそのことに気づいたようで、
「うまいよ!」と笑顔で寿司を頬張り始めた。
先生は一度集中すると、完全にその世界に入る。今思えば、それも先生らしい。

その“隙”を見計らって、私は意を決して話を始めた。
先生の要求が容易ではないこと、その理由、
そして達成のために必要な手段と期間について、正直に説明した。

すると先生は、すぐに「なるほど」とうなずき、
「そういうことか。それは無理だな。すまん」と、あっさり謝ってくださった。

その瞬間、私は完全にファンになった。

まったく専門外の分野の話を一瞬で理解する洞察力。
そして、自分の半分ほどの年齢の人間に対して、素直に「すまん」と言える潔さと人間力。

私は心から先生の役に立ちたい、と思った。
それがきっかけとなり、その後十数年にわたるお付き合いが続くことになった。


先生の「人を救いたい」という思いは、まさに生き方そのものだった。
他人にも厳しいが、それ以上に自分に厳しい。
言葉だけではなく、愚直な行動で示す人だった。

福島孝徳先生

私との打ち合わせの前後でも、患者さんの情報を確認し、手術方法を検討していた。
手術以外にも、器具の改良、後進の教育、医療環境の整備、検診の呼びかけ――
常に、「どうすれば人を救えるか」を考え続けていた。

先生はよく、「1年の365日、1日も休まずに、全力で患者のために尽くす」と口にしていた。
その言葉は比喩ではなかった。実際に、そう生きていた。
深夜までその日の手術の振り返りや講演の準備をを行い、明け方には次の患者のための検討をしていた。
その姿を見るたびに、“働く”という言葉より、“使命を生きる”という言葉が近い気がした。

 

それでいて、驚くほど人間的で、やさしい。

ある日、仕事が一段落したあと、先生がふとこう言ってくださった。

「きみの仕事のおかげで(間接的に)救われた人もいるんだよ。ありがとう。」

すごくうれしかった。
自分の仕事が、少しでも先生の役に立っていたのだと思えた。
そして、その言い方も先生らしかった。
私の仕事は医療ではないけれど、
先生はその延長に“人を救う”という意味を見てくださった。
その気づかいが、心に残った。

あの言葉の奥に、先生のやさしさがあったのだと思う。
厳しさの奥に、いつも温かいまなざしを感じていた。
そのやさしさを思い出すたび、今でも胸が熱くなる。


2025年9月30日
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