患者さんからの感謝の手紙  ※戦いつづける力 第6章【書籍抜粋】

私たちの最高の報酬は、患者さんの笑顔です。患者さんには喜びと幸せを。

「持てるすべての力を患者さんのために生かしなさい」と私は医師たちに言い続けています。そんな私たちの思い、また、鍵穴手術の効果を知っていただくために、患者さんからの手紙を紹介します。

福島先生から「本当のお医者様のこころ」を体験させてもらいました。 (50代・女性)

福島先生、お元気でご活躍のことと存じ上げます。

2011年11月に母の三叉神経の手術をしていただいてから、満1年を迎えました。あの日から、母は、私たち家族は、福島先生を思わない日は一日もありません。

心から感謝をしています。そして福島先生の偉大さを感じる毎日です。本日は奇跡ともいえるほど回復した母のことをお伝えしたくて、メールを送らせていただきます。

意を決して福島先生にメールをお送りした2011年10月、福島先生からお電話をいただいた11月、そしてその後の手術と、それは夢のような1か月でした。必死の思いで福島先生にメールをお送りしましたが、今まで受けた医療から「手術を恐れる」私たち家族の気持ちを電話で感じ取り、先生は言葉を尽くして説得し続けてくださいました。 「朝一番で手術をしてあげる」という約束と、車での病院までの道順を丁寧に教えてくださいました。私はその言葉一つ一つに、今でも涙が出てきます。一生忘れません。

母は絶望と恐怖から親身になって救い上げてくださった福島先生に、心から感謝をして、「先生を思わない日はない」と申しております。そして福島先生の手術だったからこそ、ここまで回復できたのだと、母も私たちも思います。

根本暁央先生には「脳の神経は半年、1年と時間はかかりますが治っていきますよ」と言っていただき、入院中もいつも優しく診ていただき感謝しております。

発症して2年目に受けた神経ブロックの後遺症であった母の左頬から口元へのひどいしびれが、手術でほとんど消えていきました。母も私たち家族も、福島先生が三叉神経痛を取り除いてくださっただけではなく、傷ついた神経の修復までしてくださったのだと信じています。

福島先生のホームページにある「膨大な経験を生かして最高の成績を患者さんにあげて Happiness をもたらす。すべては患者さんのために。それが私の人生そのものです」という言葉通りのことを私たちはちょうだいしたのだと実感しています。

私たち家族は福島先生から「本当の医療とは何か」、そして「本当のお医者様のこころ」を体験させていただきました。福島先生は私たち家族にとって「特別なお医者様」です。

いま、苦しんでいる一人でも多くの患者さんが福島先生の治療を受けられますように、多くの人々に私たち家族がちょうだいした福島先生の「本当のお医者様のこころ」を受ける機会に恵まれますようにと、心から希望しております。

そして末永く活躍していただけますよう先生のご健勝をお祈り申し上げます。

福島先生、本当にありがとうございました。

戦いつづける力 第6章
私たちの最高の報酬は、患者さんの笑顔です。患者さんには喜びと幸せを。

歯医者で神経を抜いたり、薬を服用して副作用の出る日々でした (50代・男性)

1年ほど前から、右の奥歯のあたりの痛みがひどくなってきたので、歯医者さんに行き、神経を抜くなどの治療を受けました。歯医者さんからは、レントゲンでは神経は全部とれているから痛みを感じないはずだと言われるのですが、痛みはまったく治まりません。しかも、おかしなことに、3本の奥歯のうちの真ん中の、すでに歯を抜いて何もないはずの場所に、飛び上がるぐらいの激痛が走るのです。

それでも半年ほど歯医者に通い続けましたが、次第に痛みが耐えられないほどひどくなってきました。歯は磨けない、顔も洗えない。しかも仕事があるので、無精髭を生やしているわけにもいかず、左手で右あごをぐっと押さえながらの髭剃りは、つらかったですね。冬場は特に痛みがひどくて、しゃべっていてもよだれが出てくる始末。お茶でさえ痛みをこらえながら流し込むような有様でした。

痛みをこらえるために奥歯をずっと噛みしめているので、あごが開きづらくなり、次第にしゃべるのも億劫になって、口数も少なくなりました。歩くだけでひびくし、息を吹きかけられたり風が当たったりするだけでも激痛が走ります。しまいには、食事が十分にとれなくなって、8キロほど痩せてしまいました。 「この痛みが歯からきているのでなければ、もしや脳の病気では?」という不安が募り、ますます不機嫌になって、人が変わったようになったと言われ、だんだん家族も寄り付かなくなってしまいました。

いくら治療をしてもよくならないので、別の歯科医院で医療事務の仕事をしていた娘に訊いてもらったところ、それはおかしいから口腔外科に行ってみたらどうかと言われたので口腔外科を受診。そこで脳神経外科に行くようにすすめられたのです。

そうしてやっと「三叉神経痛」と診断されました。三叉神経痛は自然によくなることはなく、だんだんひどくなっていく病気と説明され、そういえば3、4年前からときどきピリピリとした痛みがあったことを思い出しました。それまでは、朝はまだ痛みもマシだったのですが、仕事を終え夜になると痛みが耐えられなくなります。毎晩、ちょっと痛みが治まって眠れそうなときに無理して布団に入るのですが、その頃には夜眠っていてもピリッとした痛みで目が覚めるほどになっていました。

最初は、「三叉神経痛」は薬でよくなるので、テグレトールというお薬を1日2回飲むように言われました。テグレトールを飲むと、確かに薬が効いている間は痛みが楽になります。しかし、ひと月ぐらい続けているうちに眠気やふらつきといった副作用が出て、特に車の運転に不安を覚えるようになりました。

仕方なく、薬を1日1回に減らして痛みを我慢するようにしてみたり、調子があまりよくないときは朝夕薬を飲んでみたり……を繰り返していましたが、車を運転していている最中に、ふっと気づくとセンターラインをまたいで走っていることがあり、「このままこんな薬を飲み続けるのは怖い」と思うようになったのです。

子どもたちがネットで調べてくれたところ、三叉神経痛は手術でよくなることがわかりました。しかし、頭にメスを入れるというのはとても恐ろしいので、どこにかかればいいのか、本当に迷いました。最初に受診した脳外科では説明が難しくて、わからないことや不安なことを質問しようとすると、「終わりまで話を聞きなさい」と怒り出す先生もいるくらいでしたから……。

福島先生が手術をされている東京の病院(森山記念病院)で診てもらおうかと思っていた矢先、娘の旦那さんのお父さんが湖東記念病院の井上先生をよく知っていて、その奥さんが三叉神経の手術を井上先生にしてもらい、全快したと聞いたのです。

井上先生なら安心して手術をお願いできると思ったのは、患者さんの身になって説明をしてくれたからでした。中でもとてもわかりやすかったのが、MRIの3次元画像です。

私の場合、激痛の原因となっている血管がどんなふうに三叉神経を圧迫しているのか、手術はどんなふうに行うのか、画像を見ながら具体的な説明を受けたことで納得がいき、手術に対する不安がなくなりました。しかも、実際に数多くの手術を手掛けておられ、リスクがほとんどないことも安心できた大きな理由です。

手術室に入ってから出てくるまで、3時間程度の手術だったようです。手術当日はICUに入り、初めのうちは37℃台の微熱がありましたが、それもすぐに下がり、翌日は一般病棟に戻れました。三叉神経痛のあの激痛が噓のように消えただけでなく、手術の傷口の痛みもまったくありません。しかも、35ミリの開頭なので糸がないですから、もう翌日からシャワーをしてもいいと言われました。

手術当日の夜からは普通にご飯も食べられました。5日目ぐらいで退院できましたが、こんなに楽で本当にびっくりしています。

三叉神経痛の痛みは、なった人でないとわからないと言われます。しかも痛みには波があり、受診時が一番つらいときとは限らないので、説明するのがとても難しいのです。それを先生は、「マックスの痛みを100としたら、今の痛みはどれくらい?」とか、「朝と夜で痛みはどれくらい違いますか?」「お薬を飲んでどうですか?」というふうに数字で聞いてくれるので、「お薬を飲むと、70ぐらい痛みがとれて、30ぐらい残っている感じです」などと、表現しやすかったですね。これも、井上先生を信頼できた大きな理由です。

私の場合は、この激痛にはもう耐えられない、食事もできないし、夜も眠れなくて疲れが取れない、でも薬を飲み続けるのは怖い、という状態でしたので、手術という選択に迷いはありませんでした。 今までは「痛い、痛い」と脳に命令しているような暗い毎日だったのですが、無事に手術が成功した今は、心が軽くなって、見える景色も違ってきたように感じるほどです。明るい表情が戻った今、家族も本当に喜んでくれています。

20有余年におよぶ苦悩が魔法のごとく一瞬にして消えました (60代・女性)

20数年前から左目尻がピクピクするのを感じていましたが、その症状は徐々に顕著となり、取引先との大事な場面で集中できないようになりました。

そのため某大学病院脳神経外科を受診し、「左片側顔面けいれん」と診断され手術を受けましたが、その後の症状はさらに悪化の一途でした。日常生活のあらゆる場面で不便と苦痛を感じ、疲労感が増幅。大学病院では再手術を提案いただきましたが、完治への懸念を考えると踏み切れず、苦悩の日々を送っていました。

そんなときに福島孝徳先生のホームページを拝見し、高知東クリニックで顧問をされていると知って、即刻、手術を決断しました。

手術前日、執刀くださる高知東クリニックの本田信也先生から、丁寧な手術の説明とともに、不安そうな夫への温かいご配慮もいただき、お人柄にすっかり安堵してしまいました。また、奇しくも翌日誕生日を迎える「バースデーオぺ」後の未来を脳裏に描いていました。

ICUで目覚めたとき、それは66歳にして、輝く未来へのまぶしいスタートラインでした。20有余年におよぶ苦悩が魔法のごとく一瞬にして消えていました。

無限に広がる可能性への期待で高揚感に包まれ、これまでブレーキをかけていたことは消え去り、新たな風を感じています。アレも! コレも! 何でもできる!! 熱い想いは膨らむばかりです。

新たな息吹を与えてくださった運命の恩人として、福島先生、本田先生には生涯にわたり感謝申し上げます。お二方のますますのご健康とご活躍を心より祈念申し上げます。

神様が味方してくれるような生き方を、福島先生に出会ったことで学びました (50代・女性)

脳腫瘍だとわかったときは絶望しましたが、病気が教えてくれたことがたくさんあり、これからは、人との出会いや縁を今まで以上に大切にしていきたいと思っています。

そして、希望を持って、向上心を持って一生懸命頑張れば、必ず神様が助けてくださることがわかりました。 神様が味方してくれるような生き方を、福島孝徳先生に出会ったことで学ぶことができました。


世界一の医療水準を誇るアメリカの医療関係者から「神の手を持つ男」(The Last Hope)と称賛される脳外科医Dr.福島孝徳は、今年2018年で医師生活50年を迎えた。現在でもアメリカ、ヨーロッパ、北欧、南米、アジア、ロシア、エジプトなど世界20カ国以上を飛びまわり、高難度手術を年間600人以上行っている。

「絶対にあきらめない、成し遂げる」という強い不屈の心、闘いつづける力はどこから来るのか——。

世界一と称賛される奇跡の技法「鍵穴手術」について、また、患者さんからの感謝の声、愛弟子たちの秘話も満載。

「私のところには“Dr.福島でなければ治せない”という難しい腫瘍や巨大脳動脈瘤などの複雑な病気の患者さんが、最後の望みをもって来てくださいます。それが私にできる手術であるなら、どんな患者さんでも受け入れます。そして、いつも患者さんに言います。“私が手術するんだから、もう大丈夫”と」 (福島孝徳)

◎脳外科に人生を捧げた私のミッション
◎75歳の今でも、その日に行った手術の復讐は怠らない
◎なぜ私が世界や日本各地を飛びまわるのか
◎私の手術を見学したい若手医師を歓迎します
◎世界一の手術師が生んだ奇跡の技法「鍵穴手術」
◎1円玉大の穴をあけ、顕微鏡で手術する
◎鍵穴手術による治療「顔面けいれん」「三叉神経痛」
◎私の後を継ぐ「次世代の脳外科医たち」の声
◎日本で福島孝徳が手術を行う病院一覧

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2024年9月30日