脳外科に人生を捧げた私のミッション<3>  ※戦いつづける力 第1章【書籍抜粋】

なぜ私が世界や日本各地を飛び回るのか

現在、日本では、北海道から鹿児島まで、全国14か所の病院で手術を行っていますので、日本国内での移動は、ほとんどが飛行機と新幹線になります。当然のことながら、台風や大雨、雪、強風などの影響で、予定どおりに現地に到着できないということも起こります。しかし、いつも神様が守っていてくださるのか、どうしてもその日にその病院に行って私が手術を行わなければならない、というときは、台風や天候のほうが避けてくれるのです。

2011年の東日本大震災のときも、大阪で手術中でした。先日も、鹿児島まで今日は飛行機が飛んでも、翌日はどうしても東京に戻らなければならないのに飛行機が飛ばない可能性が高いということがありました。しかし、その患者さんの手術は、2か月後の次回来日時まで待っていただくことができたのです。このようなときは、人智の及ばない不思議な力に助けられているとしか思えません。

釧路孝仁会記念病院では来日のたびに手術を行っていますが、忘れられない思い出があります。4年ほど前になりますが、早朝に羽田を発ち、釧路に8時前に到着、9時半から手術という予定でした。ところが羽田を飛び立ったものの、到着地の釧路が雪で、滑走路がシャーベット状になっているために着陸できなくなりました。仕方なく釧路上空で4時間ほど旋回して待機したにもかかわらず、結局羽田に折り返すということになったとき、私はキャビンアテンダントを呼び、操縦席から釧路の管制塔経由で病院に電話を入れたのです。羽田─釧路便は日に2便あるので、次の便に乗って、夕方4時に釧路に到着。それから病院まで車を走らせ、無事にその日のうちに手術を終えることができました。釧路孝仁会病院では、今でもそのときのことが語り種になっているようです。

呼ばれたところへ行き、私にしかできない手術ができるのは、手術の神様がいつも私に味方してくれているからでしょう。だから、私は呼ばれたらどこへでも行きます。それが、脳外科に人生を捧げた私のミッションなのです。

ある先生が「福島先生は脳外科学会のジャニーズだから」とおっしゃっていたと聞いたことがあります。どういう意味でおっしゃったのかはともかく、私の活躍を多くの方に知っていただくことで、若い医師たちが脳外科医を目指してくれて、優秀な脳外科医がどんどん育ち、そのことで多くの患者さんが救われ、脳外科の技術が発展することにつながるのであれば、これほどうれしいことはありません。

戦いつづける力 第1章

「私が手術するんだから、もう大丈夫」

目の前の患者さんの苦しみや不安を取り除き、病気を治す──これができるのは、神様とエキスパート医師だけです。今もなお、世界20か国以上50か所を飛び回って手術・手術の毎日を送る私の原動力になっているのは、病気が治って元気になった患者さんの笑顔や感謝の言葉です。

貴重な人生を一日たりとも無駄にできません。

全世界で待っているたくさんの難治脳疾患の患者さんを遅滞なく治してあげたい。

土日も祝日も休んではいられない。毎日手術治療です。

もちろん夏休みや冬休みなどの休暇は一切とりません。

脳外科の手術は、患者さんの生命維持に関わるような、非常に難しくて厳しい手術が多い。しかも私のところには、「Dr.福島でなければ治せない」という、難しい腫瘍や巨大脳動脈瘤等の複雑な病気の患者さんが、最後の望みをもって訪ねてきてくださるわけです。それが私にできる手術であるなら、どんな患者さんでも受け入れます。そしていつも患者さんに言います。「私が手術するんだから、もう大丈夫」と。

患者さんにとって、医師の態度や言葉がどれほど重要かを知っているからです。もちろん、すべての患者さんの病気を全治させるのは困難です。私にも治せない病気はあります。神経膠腫(グリオーマ)のように腫瘍が周りの脳の組織に浸潤する場合、あるいは悪性度の高い腫瘍では1~1・5センチくらいの早期発見でないと全治は難しくなります。早期発見・早期治療が医療の最重要ポイントです。赤ちゃんから高齢者まで国民全員が年1回の脳ドックを受けることが必要です。

私が手術することによってその人の命が助かる、あるいはその人の状態が今よりよくなるのであれば、どんな難しい症例であっても、私の技術と知識と経験と知恵をすべて出し尽くして手術に挑むことをいといません。いやむしろ、難しい症例であればあるほど、チャレンジ精神がわいてくるのです。

医者という仕事を選んだ人間の使命

病気との闘いはどこまでいっても終わりなどありません。たとえ手術が成功しても、「どうすればもっとうまくいくだろう」と追求するからこそ、私の手術法は日々進歩していきます。私が鍵穴手術(キーホール・サージェリー)を確立できたのも、そうした研鑽を続けてきた結果です。そして今もなお、少しでも患者さんの負担を少なくできるようなよりよい手術の方法はないか、と切磋琢磨を続けています。放射線治療や化学療法、そのほかの新しい治療法と組み合わせることで、悪性脳腫瘍の患者さんの多くが恩恵をこうむることもあります。そういう努力を医師たちが一丸となって進めれば、今は治すことができない難しい病気でも、近い将来に治すことができるようになると信じています。

従来の技術では治せない難しい病気の患者さんを私の鍵穴手術法で治すことができ、患者さんが一日でも早く全治退院できるようになることが、私にとっては何よりの喜びであり、幸せでもあるんですね。患者さんの苦しみを救うべく、現状に満足することなく、さらに、もっと上の成果を求める──これが医者という仕事を選んだ人間の使命だと思っているのです。

名医とは、肩書きや大学、医学界、学術界での政治力ではありません。実地臨床の学識と豊富な治療経験と優れた手術技術、最高の手術成績とさらに術後合併症がないことで決まるのではないでしょうか。私は患者さんを最初の1回の手術で救う「手術一発全治」をモットーとし、一人でも多くの患者さんを治療するために、日々世界で全力を尽くしています。

75歳の今でも一日も休みません

48歳で思うところがあってアメリカに渡ってからも、私は自分が日本人であることを忘れたことはありません。いやむしろ、外国に行ったからこそ、日本人であることを意識することで、さまざまな困難を乗り越えてくることができたし、日本の医療の問題点もよく見えるようになりました。

臨床を重視するアメリカとは異なり、今の日本の大学の封建的な医局制度、基礎論文重視の教授選考制度では、優秀な臨床医が育ちません。だから私が日本のあちこちの病院で手術をすることで、その手術に関わる若い医師たちが研鑽を積んでくれて、最高の手術テクニックを学び、患者さんを治せる脳外科医が育ち、日本の医療が少しでもよくなるように、と心から願っているのです。

最近は2か月に1度は来日し、2~3週間程度のスケジュールで、北から南への全国横断手術行脚の旅をしています。一日も休みません。しかし患者さんの感謝のスマイルで疲れはまったく感じません。いや、疲れている暇もないのです。

数多くの手術を手掛けてきた結果、2017年12月時点での私の手術実績は下記のようになります。

  • 脳神経外科手術2万4000例
  • 脳神経外科頭蓋底手術1万8000例
  • 頭蓋底脳腫瘍手術1万2000例
  • 下垂体手術2734例聴神経腫瘍手術(顔面神経温存率98%、聴覚温存率70~80%)2100例、(他の神経鞘腫を含む)2400例
  • 脳動脈瘤手術2440例
  • 頭蓋底血管障害手術773例
  • 片側顔面けいれん、三叉神経痛、舌咽神経痛の鍵穴手術6430例

脳外科医として出発した1970年代から、低侵襲(組織のダメージや出血、発熱などが少ない)・最新の手術と手技を考案し、数多くの手術を行ってきましたが、単に手術数だけでなく、「いかに患者さんに負担をかけずに、合併症のないきれいな手術による一発全治をはたすか」という思いで日々進化を続けてきた結果が、これらの実績につながったと思っています。

「フクシマは週に8日働く」

鍵穴手術(キーホール・サージェリー)は、頭部に10~15ミリの小さな穴をあけ、顕微鏡を使って患部を切除するミクロン単位の超精密な手術法で、患者の手術侵襲を少なくし合併症を防ぐため、私が1981年に確立したものです。超精密手術のために必要なマイクロ手術器具も私自身のデザインで開発しました(400本以上)。その結果、皮膚切開は3センチ程度、骨に開ける穴は1センチという鍵穴手術法ができあがったのです。この超人的な低侵襲手術法により、通常の開頭手術に比べて大幅に患者さんの負担が軽減され、世界トップの手術成績を挙げられるようになったのです。今、「鍵穴手術」をインターネット等で標榜する医療機関も少なくないようですが、「福島式鍵穴手術」は、私のもとで修業し、正しい解剖学的知識と練達した幅広い臨床技術を持つ人だけができる、大変難しい手術です。

私がここまでの技術を身につけられたのは、生まれつき器用で新しい方法を創りだすアイデアマンだったということもありますが、研修医時代から世界の名医と呼ばれる人たちの手術を見学に行き、その後は欧米に留学して、多くの達人と言われている人たちと一緒に手術研鑽を積んだ結果です。また、脳外科医を志した若い頃から現在に至るまで、「フクシマは週に8日働く」と言われるほど、一生懸命手術と勉学に明け暮れています。まさに努力、努力の毎日で、今もって世界中の誰にも負けないほど、1年間365日、休まず日夜働いています。


世界一の医療水準を誇るアメリカの医療関係者から「神の手を持つ男」(The Last Hope)と称賛される脳外科医Dr.福島孝徳は、今年2018年で医師生活50年を迎えた。現在でもアメリカ、ヨーロッパ、北欧、南米、アジア、ロシア、エジプトなど世界20カ国以上を飛びまわり、高難度手術を年間600人以上行っている。

「絶対にあきらめない、成し遂げる」という強い不屈の心、闘いつづける力はどこから来るのか——。

世界一と称賛される奇跡の技法「鍵穴手術」について、また、患者さんからの感謝の声、愛弟子たちの秘話も満載。

「私のところには“Dr.福島でなければ治せない”という難しい腫瘍や巨大脳動脈瘤などの複雑な病気の患者さんが、最後の望みをもって来てくださいます。それが私にできる手術であるなら、どんな患者さんでも受け入れます。そして、いつも患者さんに言います。“私が手術するんだから、もう大丈夫”と」 (福島孝徳)

◎脳外科に人生を捧げた私のミッション
◎75歳の今でも、その日に行った手術の復讐は怠らない
◎なぜ私が世界や日本各地を飛びまわるのか
◎私の手術を見学したい若手医師を歓迎します
◎世界一の手術師が生んだ奇跡の技法「鍵穴手術」
◎1円玉大の穴をあけ、顕微鏡で手術する
◎鍵穴手術による治療「顔面けいれん」「三叉神経痛」
◎私の後を継ぐ「次世代の脳外科医たち」の声
◎日本で福島孝徳が手術を行う病院一覧

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2024年4月1日