去る7月20日、浅草HUBにて、
「Dr.福島孝徳と東京オールドボーイズ」が公演!
7月20日、立ち見もでるほど超満員の浅草HUBにて、福島孝徳が率いるジャズバンド「Dr.福島孝徳と東京オールドボーイズ」の公演が開催されました。3部構成全20曲の演奏の途中には、10年前に福島先生の手術によって命を救われた會田達也さんから花束が贈呈されるという突然のイベントがあったりと、終始盛り上がった公演でした。
公演の様子
曲目
1st
- Street Of The City
- Golden Leaf Strut
- Careless Love Vo by Yokota
- Lead Me Saviour
- Baby Won’t You Please Come Home Vo by Yokota
- Bourbon Street Parade Vo by Yokota
2st
- Panama
- My Old Kentucky Home
- Burgundy Street Blues
- Root 66 Guest Vocal Bull Matsubara
- Your My Sunshine Guest Trumpet Mr.Nakamura
- Franklin Street Blues
3st
- The World Is Waiting For The Sunrise
- Amazing Grace Guest Vocal 彩さん
- Kansas City Vo by Yokota
- Willie The Weeper
- 浜辺の歌
- When the Saint go marchig in
- Till We Meet again
Encole Boogie woogie
會田達也さんからエピソードのご紹介
私は10年前(当時15歳・高校1年生)の8月に福島先生に茨城県日立市の聖麗メモリアル病院で脳腫瘍の手術をしていただきました。そこに至る経緯を含め、福島先生とのエピソードをご紹介させていただきます。
中学3年生の受験勉強に必死になっていた頃、当時1.5以上の視力があった右目が霞み始めてきました。受験のため夜遅くまで勉強していたことなどが影響しているのだろうと勝手な判断をし、眼科に行くことを先延ばしてしまっていました。
受験勉強の目処もたち、家の近くの眼科を受診してみると、そこでは診断できないと言われ、大学病院の紹介状を渡されました。大学病院の眼科では両親のみに診断名を伝えられ、その後脳外科、耳鼻科と様々な科を受診させられました。
その後も定期的に耳鼻科の受診が続きました。検査のため大学病院の耳鼻科に入院することになったのは高校に入学して1ヶ月後の5月でした。
耳鼻科で検査のため手術をし、良性の脳腫瘍が確定。しかし、大きさがかなり大きく(確か摘出後にテニスボールと言われた覚えがあります。)手術をしてくださる先生が全国で1人も名乗り出ていただけませんでした。耳鼻科の主治医からは当時まだあまり行われていなかったγ線での治療をすすめられました。
その頃、テレビ番組の情熱大陸にて福島先生の特集が放送されていました。両親が偶然その放送をみており、『この先生に手術をお願いしたいね』などとお見舞いの際に言っていました。そして、これまた偶然が重なり、耳鼻科の教授が福島先生と知り合いだったことで福島先生に脳腫瘍の内容を伝えてくださり、福島先生が『私がやってあげるよ』と言っていだだけました。
おかげで、無事今も生きていられることとなっています。手術をしなければ命はなかったとのことでした。
ちなみに福島先生が初めて病室に訪室してくださった際、当時の私はベッドの上で自然と正座をしていました。また、手術中には手術器具が足りない状況になり急遽取り寄せたり、大きな地震が起きたりと、脳腫瘍の大きさだけでなく様々な理由でかなり長時間の手術となったようです。
※會田達也さんご本人よりお送りいただいた文章を、ご本人許可のもと掲載させていただいております。
2013年8月20日