患者様からの手紙

 

「がんばりましょう」の言葉と固い握手は一生忘れません

  • 命の恩人、福島先生へ
  • 毎日忙しい日々を送っております。この忙しさも、元気な体になったのも、先生に手術をして頂いたお陰だと心から感謝しております。
  • あとから家族の話によると、すごく大変な手術だったと聞かされました。あの時のことをふり返れば今は奇跡だと言っていました。退院してからも家へ続々と見舞いに来て下さり第一声が、福島先生に手術をしてもらってよかったな、えらい先生にしてもらったらしいな、と皆が先生のことを絶賛し、先生のお話でもちきりでした。そして後遺症の何もないことにさすが福島先生と驚いておりました。そして誰もがよかったな、よかったなと喜んで下さりました。
  • 私の住んでいる町はいや、村といっていいほど小さな漁村なのです。私の入院したことも、ほとんどの人々が知っていて、こんなに何の後遺症もなく、元気になるとは思っていなかったようです。福島先生をご存知の方は、完璧に治ってくると思っていたようです。そういう方もおれば、頭の手術は多少何らかの後遺症もあろうかと思っていた方もおられたそうです。ところが、家に見舞いに来られた時の私の元気そうな姿を見て、すべての方々が驚いておりました。
  • 1つ面談時に心に残っている、先生の言葉があります。「後遺症のないように手術をしましょう」そして家族一人ひとりに先生は握手をして下さいました。「がんばりましょう」手術前の私のあの時の心境にすごく、この言葉と固い握手は一生忘れません。こんなにも人の心を感銘させる先生がこの世に何人いらっしゃることでしょう。先生こそ本物のお医者さんだと実感しております。先生に手術をしてもらっていなかったら、私は今どうなっていることでしょう。
  • 毎朝一番に先生の本の表紙の前で手を合わせて「今日も1日元気でありがとう」と私なりに手を合わせて頂いております。まさに私にとっては、先生は神様です。
  • 手術前は毎日、毎朝頭が重く、床からなかなか出られず、それでも仕事(保育士)に行かなくてはならないし、つらい朝を迎えておりました。でも今はちがいます。まるで生まれ変わった体のように、朝もいくら早くてもさっと起き上がることもできます。そして、車も運転できます。
  • 私のような者が、雲の上の存在の方に、手術をして頂くとは夢にも思っておりませんでした。有難うございました。私は世界一、幸せ者です。

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大切な大切な一人息子の命を救って頂きました

  • 2004年12月25日のクリスマスの日にオペをして頂き、来月にはオペ後10回目のクリスマスを迎えます。息子の病気が発見されて、日本全国のHPを巡っていた3年間、オペ後の10年間、あっという間に月日が経っています。
  • 先生にオペをして頂いた時大学1年生だった息子ですが、今ではST(言語聴覚士)として、医療従事者の1人として働いております。私の大切な大切な、一人息子の命を救って頂き、今の私たちの幸せな日々の生活があります。
  • 先生には感謝の言葉も尽きません。

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手術を行なってから今年で27年目になります

  • 私は現在、群馬県の主婦です。私は栃木県出身で結婚以来、人生の半分をこの地で暮らしています。高校を卒業したのち、一般企業に就職してそれこそ日々、一生懸命でした。病気ひとつしたことのない私です。
  • ところが22歳の誕生日を迎えた一か月後の6月、突然左頬に“信じられないような激痛”が走りました。翌日、歯科医へ行き、ここからが私の辛い闘病の始まりでした。誤診でしたが歯を2本抜歯、それでも刺すような激痛は治まらず、栃木県内のD大学病院の口腔外科を受診。CTを撮っても異常なし。約1年経っても痛みは消えず、父の勧めで県内のG大学病院への通院が始まりました。
  • やはり口腔外科で検査、ところがこの病院では私の症状に疑問を持ち、麻酔科へと移してくださった先生がいました。麻酔科などと聞いたことも初めてでした。担当医師M先生はかなりのベテランの風格がありました。なんとなく「助けてもらえる」…ような気持ちが私には湧いて来ました。左顔面の“身を切るような痛み”を訴える私に、M医師は、首に「神経節ブロック」と言う注射の治療を続けてくれました。CT画像も検査もこの病院でも異常なし。約一年半、50回以上も続いた神経節ブロックも効果はなかったのです。
  • その時24才の私には長年付き添った恋人がいました。「こんな原因不明の病気では結婚出来ません。別れて健康な方と幸せになって下さい」と恋人にお願いしました。「いつか必ず治るから!」と彼からの強い言葉。
  • ある日M医師から突然「東京に日本でたった一人だけ凄い先生がいる、すぐ連絡を取ってみます」との言葉。それが、東京都にある三井記念病院の脳神経外科部長の福島孝徳先生との「人生最大の出会い」でした。
  • 当時、日本で1台しかないという精密なCTで、私の脳の画像を見た福島先生は、「ここにおできがある。開けて見ないと良性か悪性かわからないけどね。でも大丈夫、福島のメスはどこまでも入っていきますよ!」。福島先生は腫瘍をあえて「おでき」と言って下さったようですが、私はここで生まれて初めて失神という経験をしました。話はとんとん拍子に決まり、昭和62年12月19日入院、22日が手術日と決定、私は6年勤続した会社の同僚に挨拶をして退社しました。
  • そして両親と恋人が付き添い、入院と手術の日を迎えました。朝8時から開始された私の手術時間はなんと7時間に及んだそうです。「神の手」と呼ばれる福島先生も後で、「こんなに掛かるとは思わなかったよ、もうあの悪魔の痛みは来ませんよ」とにっこり笑って言ってくれました。
  • 診断は三叉神経に直接付いた「脳腫瘍」、ありがたいことに良性でした。福島先生が独自で編み出した、「鍵穴手術・キーホールサージャリ―」と言われるそうです。1ミリの100分の1で手術をすると言う、正に「神の手による神業」なのです。しばらくの入院を経て、看護師さんたちと当時は白い帽子に紺の線が入った婦長さんが、「おめでとう。良かったわね、きれいな花嫁さんになれるわね。」との言葉をいただき、大変な感謝の念を心に抱いて退院いました。実家に戻って「生きていられる幸せの気持ちと、絶望の淵に居た私を救って下さったお礼」の手紙を福島先生に、精一杯したためました。
  • その後、5年も待ってくれた恋人と婚約。手術から1年後に、群馬県に嫁いで来ました。結婚して4年後に男の子が誕生。待望の赤ちゃんでした。「どうか健康でありますように」と、「健」と名付けました。彼は名前の通り、虫歯ひとつない健康な子です。手術から今年で27年の年月が流れます。生きていくことさえも辛かったあの若い日。福島先生あっての私なのです。今も現役で米国で世界的な活躍をされているそうですね。先生の著書を読み、先生が微笑む白衣の写真が載っていると、今も涙目で「ありがとうございます、福島先生、私はおかげで元気です」とつぶやきます。福島先生の言葉「すべては患者さんのために」という優しさが、身に染みています。
  • 私は「謳歌」という言葉が昔から好きです。息子には「青春を謳歌しなさい」と、私は残る人生を謳歌します。大病はしたけれど、決して不幸ではないのです。あの経験が私の人生の「糧」になっているのが真実です。当たり前の日々の繰り返しこそ、何よりの幸せなのです。名医に出会えたことさえ奇跡なのかもしれません。あれから27年、私の精いっぱいの気持ちを綴ったつもりです。
  • 最後に、遥かなる米国の
    「福島孝徳先生、ありがとうございました。そしていつまでもお元気でいて下さい。」

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私は“新しく命を授けていただいた1人”です

  • 2014年という年もあっという間に過ぎ去ろうとしています。福島先生、突然の「お手紙」大変失礼と存知ながら書いております。
  • ご多忙で世界中を駆け回り、日々人々の幸せのためにご活躍されています福島先生に、日本に帰国の際に読んでいただきたい「お礼のお手紙」です。心を込めて一生懸命したためています。
  • 先日、読売新聞社で投稿文「心に残る医療」を募集していました。私はこの人生の中で「心に残る医療」と言えば、絶対に福島孝徳先生なのです。賞を取るとか…そんなことではありません。福島先生のお心にお届けできたら…と一心に書きました。本当にラン櫃乱文ではありますが、この手紙と投稿文、精一杯書きました。
  • 福島先生へ届きますように…
  • 申し遅れましたが、私はちょうど27年前に三井記念病院で福島先生の手術をしていただきました。当時24才で三叉神経痛でした。
    信じられないほどの手術をこなしている福島先生ですから、私共などおぼえておいでではないことでしょう。私は福島先生によって“新しく命を授けていただいた1人”なのです。生まれ変わった…と言っても過言ではありません。もし福島先生がいらっしゃらなかったら、私と言う命は存在しなかったかもしれません。
  • 先日、福島先生の最新のコミックエッセイを2冊買い求めました。もちろん「ラストホープ」etc.読ませていただいております。コミックエッセイの中に先生の来院される病院名を見つけ、ついペンを取った次第です。ご無礼をどうぞお許しくださいませ。
  • 私は先生と出逢えたこと、手術をしていただいたことで今も「生きている喜び」で満たされています!こうして人生があること、家族を持ち未来もあること、本当に幸せです。毎日の日々の繰り返し、これこそが幸せであると実感しております。健常な方には「ごく当たりまえ」の毎日も、当時の苦しみを味わった私たち患者から見れば、正に「奇跡」なのです。よく昔から言われる“のど元過ぎれば…”では決してございません。生きて命ある限り私たちは福島先生への感謝の心と命の大切差を忘れることはないのです。ここであらためましてお伝えいたします。
  • 「福島孝徳先生、本当にありがとうございました。福島先生にいただいた命で生きています…力強く一生懸命に」
  • かなりの乱文でしたが、精一杯の心です。「すべては患者さんのために」先生のお言葉が胸にしみます。あの時も…そして現在(いま)も…。
  • 今、現在も世界の最高峰でご活躍されている福島先生へ、どうあお身体を大切にいつまでもいつまでもお元気でいて下さいませ。福島先生の輝かしい功績とこれからの医療への熱意、素晴らしいです。本当にありがとうございました。
    どうかお元気でいてください。

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自分の人生観が大きく変わりました

  • 突然のメール、申し訳ございません。福島先生に是非、お礼を言わせて頂きたく、メールさせて頂きました。福島先生のご活躍をTVや本などでいつも見させて頂いております。
  • TV番組で、福島先生がおっしゃった「皆さんもっと働いてください。もっと努力してください」という言葉に衝撃を受け、自分の人生観や仕事観が本当に大きく変わりました。当時私は、現職に不満をもっており、本気で向き合うことができずにおりました。この一言に私は、「なんて自分はちっぽけなんだろうか」と自分が情けなく思い、もっと仕事にストイックに生きようと決意をしました。
  • 私の仕事はカーディーラーでの新車セールスでした。その後、本当に真剣に働き、社内では1位の成績を挙げ、全国でも上位に入ることが出来ました。そして、来年9月から、もっと成長したいと思い、保険会社に転職いたします。フルコミッションの営業で、厳しいのも承知で飛び込みました。
  • 福島先生のモットーでもある「毎日全身、常に進歩、常に改良」をお手本に人の3倍働き、努力していきたいと思っております。そして、福島先生のように、誰からも尊敬される一流の人間になれるよう、頑張ります。
  • 本当に本当に、ありがとうございます。身勝手なメールをお許しください。申し訳ございません。日々お忙しいかとは思いますが、お体には気をつけてお過ごしください。失礼致します。

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命を救ってくださり、ありがとうございました

  • こんにちは。去年11月にS病院にて福島Dr.に脳動脈瘤のOpeをおこなっていただいたTです。
  • 半年で2.7ミリから3.3ミリに成長した脳動脈瘤、思い切ってOpeをして本当に良かったです。
    開頭したら破裂寸前で、3時間のOpeの予定が6時間にもなり、大変だったのですがしっかり治していいただきました。術後お会いして福島Dr.にご挨拶をしたかったのですがすぐまた次の所へ行かれたのですね(笑)。
  • 命を救ってもらい本当に感謝しております。
    あれからまた介護の仕事に復帰して頑張っております。この救ってもらった命を大切に致します。
  • また、もう一つの1ミリの脳動脈瘤はまた、経過観察ですが大きくなったら再度Opeをお願い致します。だから先生も元気で長生きして下さいね。

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日常生活をとり戻すことができました

  • 高地も秋が深まり山々の紅葉前線が聞かれる頃となりました。
  • 私は九月一日に高知のI病院で福島先生とM先生に大きな難しい脳底動脈瘤の手術をして頂きました。お陰さまで、順調に回復を経て十一月一日に無事に退院のはこびとなりました。眼の方はまだ回復に時間を要するとのことで家庭の生活とリハビリをしながら気長に待ちます。
  • 福島先生に執刀していただき、手術の成功、そして日常生活をとり戻すことができましたことに家族共に感謝の念でいっぱいです。
  • 多忙を極める福島先生に高知で、めぐりあわせの機会をいただきすぐに手術を受けることができたことが奇跡でありますが、手術直後家族に「難しかったよ・・・」とお話しされ清々しく「さあ、じゃあ次を!」と手術室に戻られる姿に、神の使いは存在するのだと感じたことでした。

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Thank you from the bottom of my heart

  • (巨大な聴神経腫瘍の全摘手術を行なったアメリカの患者さんからの感謝状です)
  • Dear Dr.Freidman and Dr. Fukushima
  • On November 4, 2013 you both preformed a successful Craniotomy on a Acoustic Neuroma on the right side of my brain at Duke University Hospital.
  • I want to take this opportunity to say “Thank you.” That seems such a small gift for a monumental task; for me this was not only a physical journey, but a spiritual one. We all have a destiny, a dharma to fullfill, your expertise and skill to all in need, bless you. You both possess the greatest gift of all; knowledge and skill that you share with other surgeons to carry on your legacies, “Thank you.”
  • Everything happens for a reason, mine was to move from California to Williamsburg. VA, to be told over and over to go to Duke University; to come under your care Dr. Fukushima and the care of your capable colleague and friend Dr.Fukushima.
  • I had an overwhelming challenge in my life, and through the grace of God and the gifts you both possess as brain surgeons, I am here. Thank you from the bottom of my heart, I am a grateful and better person for having you both touch my life.
  • May love,humility and gratitude continue to full your lives and to bless you and those you touch.

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You have saved my daughter’s life

  • (松果体部巨大脳腫瘍手術を行なったアメリカの患者さんからの感謝状です)
  • Dear Dr. Fukushima
  • Just a short note to thank you for taking such good care of my daughter, Jamison.
    I am so very thank for that god lead us to you. You are truly an amazing doctor the very best in the world.This is the opinion of everyone that knows you. You have saved my daughter’s life and I will be eternally grateful to you for that. I wish you all good thing. May you enjoy much continual good health, love and happiness and may all the joy you give to others return to you tenfold.
  • with sincere gratitude

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